「数字は踊る」を読んで
やまもといちろうさんのブログ( http://kirik.tea-nifty.com/ )が好きで、いつも読んでる。
私にはよくわからない難しい内容の話も多いけど、なんで好きかって、やまもとさんの文体がすごい好き。
リズムがあって、ユーモアが漂ってて、いろいろ読んでると優しい人柄を感じる。
だから、小説も読んでみたくて、小説新潮っていう文芸雑誌買ってきた。
この11月号は、「仕事人、仕事を語る」っていう特集で、作家とはぜんぜん違う職業のプロの人が、その仕事についての小説を書いてる。
作家が書いたんじゃなくて、それぞれの業種のプロフェッショナルが書いてる、っていうのが面白いって思った。
まだ、山本一郎さんの小説しか読んでないけど。
あとでほかのも読んでみるつもりだけどねー。
山本一郎さんの小説は、個人投資家が主人公の「数字は踊る」っていう短編。
私は投資のことなんてぜんぜんわかってないから、個人投資家ってどーいうことする仕事なのかも知らなくて、主人公が知り合いの医師のベンチャービジネスに投資をする経緯はすごい興味深かった。
この主人公は、山本さん自身を投影してるのかなー、って思うキャラクター。
お金儲けのためだけに投資をやってるお金の亡者じゃないの。
もちろん、プロの投資家として、ちゃんと成果を出すことが大事だけど、主人公にとってその意味は自分の資産を増やしたいって金銭欲なんかのためじゃない。
ただ、投資家としては、三年なり五年なりで、株式の上場や、高値の企業売却が成立して欲しいと願う。投資した企業の株式がいくらかでも値段がついて売却され、現金にならなければ、次の成長分野への投資が滞ってしまうからだ。
主人公にとって投資は、自分の今の資産を増やすためよりも、世の中のいろんな分野を成長させていきたい、っていう、未来への投資の意味がある。
それは、主人公が遺伝的な重度の糖尿病を患ってることと関係してる。
なんで自分が起業家に投資するばかりで自分が会社を経営しないのか、ってことに、主人公がこう語ってる。
私には、経営して会社を大きくする能力がないからですよ。経営に関する知識や経験はあるかもしれないが、熱意はない。事業を拡大しようという意欲もない。遺伝的に糖尿体質で身体も強くないし、ベンチャー経営に必要な、経営者が率先してがむしゃらに働き社員を引っ張っていくという体力がない。
毎日、自分で血糖値調べてインスリン注射するのが日課で、おなじ体質のお父さんは早死にしちゃってる。
自分のカラダの限界がある、っていうのが、この主人公が個人投資家になった理由。
でも、自分がお父さんみたいに長生きできないかもしれない人生を、刹那的には生きてない。
いろいろ話題になる成金みたいに、一瞬で成り上がってバカみたいな豪遊生活をひけらかせることに幸せを感じるタイプじゃなくて。
そんな表面だけキラキラした人生を求めてるわけじゃなくて。
この主人公は、今の投資を自分がもう生きてない未来まで繋げて、その未来にいろんな人たちがキラキラした人生歩めるよーな夢を抱いてる。
私には、この主人公のこと、そんなふーに感じた。
だから、この主人公はいろいろ難題を抱える知人の起業をサポートし続ける。
主人公が、その医療ビッグデータに投資をし続けるのは、自分の遺伝子を継いだ自分の子供のため。
自分の父親と自分は糖尿病のために人生に制限をかけられたけど、その遺伝子を継ぐ自分の子供やおなじ遺伝の体質を抱える子供たちが、なにかを我慢しながら生きなくていい健康な人生を歩めるよーに、って願いをかけてるんだよね。
自分の得にならない(ヘタすれば損するかもしれない)投資をする理由が、「未来に生きる人たちの希望」って、すっごい大きい夢だと思った。
多分、山本さん自身が、そーいう夢をもって仕事してるんだろーなー、って思った。
主人公は、プロの投資家の目で数字をシビアに見るけど、その数字を「現金」に重ねてるんじゃなくて、「人の心」に重ねてる。
お金を信じてるんじゃなくて、人を信じてる。
お金のためにお金儲けするんじゃなくて、人が生きていく道を切り開くためにお金を操ってる。
お金がすべてじゃなくて、お金はただの道具。
だから、お金に溺れないし、現金に夢中になったりしなくて、主人公は人の夢に熱くなる。
投資や起業のシビアな現実を描きながら、でもすごいあったかい小説だなー、って思った。
このところのブログ論議にも重なるね。
ブログの為にブログ書く人と、人の気持ちの表現のためにブログを道具として使う人と。
お金の為にお金を儲ける人、人の夢のためにお金を操る人。
自分の今の欲がどんな自分の夢に繋がってくのか、って、人それぞれだけど。
有能な投資家って、お金儲けがうまい人のことじゃなくて、夢を描くのがうまい人、なんだなー、って思った。
最後に。
この小説は主人公の視点になってるけど、主語は全部三人称。
でも、その三人称に敬称がついてるのが面白いって思った。
それも、主人公の目を通した作家自身の優しさが出てるなー、って。
呼び捨てに出来なかったのかなー、って。
的外れだったらごめんなさい。
私は「高橋さん」とか、そーいう書き方がこの小説の優しい魅力、って感じたんだよね。