便利のシェア
この前、ラジオ番組の「こんなものいらない」という企画の時間に、都会に住むことは本当に便利で幸せか、っていう話をゲストを呼んでやっていて。
そこで、脱原発の話になって、都会は電気を使いすぎる、っていう意見が出て、それで、太陽に合わせた暮らしを提唱してた。
太陽が昇ったら起きて、昼間働いて、太陽が沈んだ夜は寝る、っていうの。
人間はそういう暮らしに戻ったほーがいい、っていう考え。
そーいう原始的な暮らしに戻れたら、今みたいに電力も要らないし、そしたら原発も要らないし、火力発電だって減らせるかもしれないし、事故に怯えなくてもいーし、地球も汚れないし。
そーいう理想は、抱いたりはするよね。
でも今のこの時代に生きる日本の人たちが、そんな暮らしに戻れるとは思わない。
戻りたいと思う人は、やれるだろーけど。
朝、夜明けと共に起きて、太陽が出ているあいだに活動して、暗くなったらはやめに寝る。
そーいう暮らしは送ろーと思えば、送れる人はいる。
だけど、そーやって、日中活動して夜は寝る人の生活は、いろんなものが24時間支えてる、って思う。
日中使いたい電気は、夜も発電所で働く人、送電線を管理する人。
電気がちゃんと使いたい時に安定して供給されるか、それを守るシステムは24時間稼働してるよね。
夜は安全に過ごしたいよね。
そのセキュリティを守る人、警察、消防、いろいろ。
夜に怪我したりすごいお腹痛くなるかもしれないよね。
その自分を運んでくれる救急車の人、タクシーの人。
その自分を治療してくれる病院の人。
自分は夜中に活動しないって決めたって、その自分の夜の生活の部分は、夜中に稼働してるシステムが守ってる。
そして、夜働く人たちは、夜にゴハン食べるし、ゴハン買いに行きたいし、外食もしたいし。
夜中に買い物できるならしたいし。
夜のシステムを支えて夜働く人たちは、昼夜逆転してても、昼間に働く人たちよりすっごい不便な暮らしをしなくても済むよーに。
そーやって、夜中もやってるお店が出来て、夜中の娯楽もあって、夜中にお金おろしたり支払ができて、夜中も交通が動いて、夜働く人たちの安全のために夜中にライトが必要で、冷暖房も必要で。
いろんな不便を解消してきて、24時間人が働く現代の社会ができた。
夜中に働かなくても困らない人たちは、「太陽が出てる間に活動しよう」って言う。
そーいう人たちが増えれば、それがマジョリティになって、そのマジョリティの暮らしを支えるための深夜に働くマイノリティが出来て。
マジョリティのために、マイノリティが支える。
っていう構造になっちゃうんじゃないのかなー、って思った。
昔はきっと、そーだったんだろーね。
今だって、うちみたいなお店の深夜に働く人は「わけありの人が多いから」って言われてる。
いかがわしいお店じゃないのに。
昼間の人たちが健全に利用するお店なのに。
もう一旦ここまで文明が進んだ国に生きる人たちは、太陽に合わせて暮らせない。
「便利」の中には、「なくてもいい贅沢な便利」もあるけど、「便利であることが安全っていう便利」もあるよね。
その番組のネットの反応は、私が思うこととは反対で、わりと賛同する声ばかり目にした。
この太陽の話だけじゃないけど。
私はなんとなく、その番組内で出たいくつかの考え方に、「?」っていう疑問が湧いてた。
その中でも、この「太陽に合わせた暮らし」っていうのは、今の社会ではけっしてプリミティヴなものじゃないよねー、って思って。
人が夜寝ても、街は寝れない。
夜に働く人たちと、暮らしの便利をシェアするのであれば、太陽に合わせて生きる人たちだけがただしいっていう価値観の偏りがない社会でないと、不公平だよねー、って思った。
短い時間の話だったから、ほんとうはもっと深い意味とかある意見だったのかもしれないけど。
ラジオを聞いた時、私に湧いた考えがこんな感じ。
これがただしいよ、っていうラジオ批判でもなくて、頭にモヤモヤ湧いた疑問。