読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

未解決の文字

もひとつブログです

「あの日」という型

思う

昨日、が過ぎて。

「3月11日」当日だけが「あのことが起きた日」じゃなくて、そこから始まったことが、今日というこの日までまだ続いてる。

 

今年、ラジオでは「震災が風化してきている」っていう言葉をなんどか聞いた。

3年経って、人がそれをわざわざ話題に持ち出すことはすごい減ったんだと思うし、いちいち意識しないで今の日常を送ってる人たちも少しずつ増えてってるんだと思う。

 

だけど、まだ「震災」はかんぜんな過去の出来事になってないよね。

被災地の人たちの日常は震災前のよーには戻らないし、今もまだ避難生活してる人たちがおおぜいいるし。

 

復興はまだまだで、原発の事故だってぜんぜん収束してない。

 

3月11日。

この日は、あの日のことを思い出しましょう。

という呼びかけも聞いたし、忘れないよーに、と記憶を再クリップさせる声もあった。

 

震災のことは、メインのブログに書いたことある。

 

///こわい気持ちはまだ

 

震災から2年半経つ半年前、まだ私は「こわい気持ち」をいだいたままだった。

 

「思い出しましょう」

とか、

「忘れないで」

とか。

 

あの記憶の扱い方を、日本人ぜんいんに同じよーにさせる感覚が、今もまだあるね。

震災直後、「ぽぽぽぽーん」っていうあのCM。

私はあれが嫌いだった。

「絆」

っていう一文字で、日本中の人たちの心をまとめよーとした感覚が、私は気持ち悪かった。

 

人生そのものが変わってしまうほどの大きな出来事を、みんながおなじ気持ちで抱えれるわけないし。

 

今、あれを思い出したくない人もいると思う。

忘れたくても忘れられない人もいる。

 

抜け出せない思い。

形を変えてもまだある苦しみ。

風化することなんてない悲しみ。

 

あの日、自分にとってあの震災がどんなものだったか。

2011年3月11日のあの日の暮らしによって、人にとって震災はいろんな形で襲いかかってきたもの。

 

忘れちゃいけないものだし、風化させちゃいけないものだし、まだ現在進行形だって思い出さなきゃいけないし、次に襲う大きな災害にそなえて残していかなければいけない知識や心構えもある。

 

だけど、3年って月日はまだ震災のあの日から近すぎて、3月11日にどのメディアでも震災の特集をやることをおそれてる人たちだっていると思う。

 

焦って、思い出させないで。

遠いところから、忘れるな、と言わないで。

 

まだ、「震災」から抜け出せていない人たちがおおぜいいるんだから。

あの出来事をうけとめる人の心を、おなじ器にいれないで。

 

私は「被災地」で暮らしてたわけじゃない。

震災の直接の被災からは、少し距離があるとこに私の日常はある。

 

そんな私でも。

「忘れないで」

今年になって聞いたこの言葉に、私は違和感あった。

その言葉、どこから発してるの?

 

思い出して。

忘れないで。

 

それを口にする人たちの日常は、どこにありますか。

被災地からどれくらい遠いところにありますか。

 

そーいう気持ちも大事。

それを否定するつもりなんてないし。

 

だけど、そーいう気持ちを抱えれる人たちばかりじゃない。

今はまだ。

これからも、たぶん。

 

3月11日、だれもが目にし、耳にするメディアで、あの日が掘り起こされ、そしてまた、気持ちをひとつにまとめる言葉を使われる。

 

人それぞれにあの日を抱え、人それぞれの気持ちを抱く。

その「ばらばら」を、ひとつにまとめないで。

ひとつの言葉で語らないで。

 

「絆」という1つの糸で繋がれない思いや記憶もあるよね。

 

淡々と、実際に起こったことを記録していけばいーのに。

なんでそこに、「感情」の先導が必要なのかなー、って思う。

 

「事実の記録」に、人がなにを思い、どんな記憶をよみがえらせるか、それは人の数だけぜんぜんばらばらなものだから。