なめこ日記
いろいろえっちのほー、アクセスを1000以下に落として、トップのおすすめにも出ないよーにしたいので、更新の回数減らしてみます。
あっちには書かなかったこと。
短歌を日記につけることで、これまで2人の人から、私の日記の書き方に批判もらった。
ひとつは、シリアスな短歌のあとにおちゃらけた本文つけるな、っていうの。
もひとつは、短歌は本文に関係させろ、短歌舐めるな、っていうの。
どちらも、フツーの言葉で「こーしたほーがいいんじゃない?」って提案じゃなくて、すごいきつい言葉だったから、びっくりした。
そんなに悪いことしたかなー、って、私にはわからなくて、でも、そんな読み方する人もいる、って知って、すごい考えた。
私、自分の日記は自由に書きたい。
読みにくい文章なのわかってるけど、自分に書ける文章ってこれがせいいっぱいだし。
もっと構成をちゃんと組むほーが読みやすい記事になるかもしれないけど、私は思いついたことを思いついた順に書くことしかできないし、それでいーと思ってるし。
短歌はその日の私の感情。
そのまま記事に繋げることもあるけど、記事に書けない感情や、記事にはしなくていーかなっていう感情や、あまり大したことない感情を、短歌っていう形で遊んで、それを自分のブログに載せてる。
そのやり方に、ホンキで怒る人がいるなんて、ぜんぜん思ってもなかった。
なんで怒るのか、私にはわからないんだよね。
穂村さんも、短歌がテキトーすぎる、ってすごい批判書かれてたの、どこかで読んだなー。
自分と穂村さんと並べちゃ図々しすぎるけど。
でも、私が穂村さんを好きなのは、短歌を自由に楽しんでるから。
型にとらわれないで、伝統をなぞらないで、人真似をしないで、自分の詠みたい歌を詠みたいよーに詠んでる。
その自由さが、私は好き。
ブログっていうのは、ただのツールで、それを用意された私たちは、そこになにを書くか、だれからも強いられない自由があるよね。
こーしなくちゃいけない、っていうブログの書き方って、私はないって思ってる。
自分のやり方を、みんなそれぞれ決めてるだろーし、それはその人の型になってるんだとしても。
自分の型っていうのは、その書き手の自由。
こんな自由を楽しんでいーですよ、っていうネットのブログって遊び場で、だれかに「こんなことするな」という縄をかけていくって、それ楽しい?
って、私は思う。
だれかが、短歌と日記を一緒に書くやり方について、こだわりがあるんだとしても。
それはその人のこだわり。
私のこだわりとは違う。
こんなの短歌じゃない、って思われたとしても、私は短歌みたいな57577の言葉で遊んでるだけだから、短歌じゃないって思う人に、「これは短歌です!」なんて主張する気ないよー。
批判する自由もあるんだけどね。
私の短歌にもなってない短歌の猿真似の言葉で、せっかくのあなたの一日をつまらなく潰しませんよーに。
そんな祈りしか、私には持てない。
言い訳しながら書いてく自分がつまらなくなってしまったので、私は自分の弱さをなんとかしなくちゃねー。
ほんとにほんとにつまんないことしか書けない。
つまんないことしか書けない人が書いてるつまんないブログ、にしかなれない。
あっちのブログは、はてなの隅っこのジメジメしたとこに生えたちっちゃいなめこみたいになりたい。
日の当たるとこにでると、溶けちゃうなめこ。