秘密の穴
作曲に関するいろいろな詐称のニュースを聞いて。
それで、いろんな関連記事や言及も見た。
ゴーストライター問題とか、曲のなにに感動してたのかとか、障害の話とか。
でも、私が見聞きする範囲では見かけなかった疑問が、私には真っ先に湧いた。
自分の社会的生死にかかわるぐらいの重たい秘密を、なんで他人と共有し続けれる幻想を抱いちゃってたんだろー、ってこと。
この件に関して、だけじゃなくてね。
秘密って、その多くは「人」から漏れる、って思う。
秘密を守る、ってことで、いちばん安全じゃないのが「人の口」だと思う。
だれかとひとつの秘密を共有できるのは、その人との関係が良好な間だけ。
自分とその共有した相手との関係がこじれたら、共有してた秘密は、その秘密で不利になるほーにとって脅威になる。
仲のいい友だちとナイショ話を楽しんでて。
でもその友だちと仲良くなくなった途端、
「あの人、あんなこと言ってたよ」
って言い触らされたりして。
そんなこと、だれの日常にもよくある話。
利害が一致しなくなった時、秘密は漏れる。
そんな危機感もなくて、自分が社会的に死んでしまうほどの重大な秘密を、他人と共有しちゃう、って、ものすごい呑気だよね。
告発の動機が社会的にとても正しいことだとしても。
いっとき、「不正」を共有した間、それを共にばらさないのは、おなじ利害の意識も共有されてたから。
そのバランスが崩れた時、その崩れた理由が「自分の不利の覚悟も受け入れた正義」のものだとしても、秘密をあきらかしても構わない、と思った側が絶対的に強くなる。
その秘密をばらされたら死ぬほど困る、と思い続けてる側が絶対的に弱くなる。
自分を殺す秘密を、自分以外の他人に共有させる、って、自分の命を他人に差し出してるよーなものだよね。
愚かだから、そんなことしてしまうのかもしれないけど。
人の心って、自分の信頼に100%こたえ続けてくれるわけじゃない。
人をなんでそこまで信じれたんだろー、って、私はフシギだった。
自分の心だって、自分で予測しないほーに移り変わっていくことあるよ。
だから、人の心なんて、自分にはぜんぜんわからないぐらいに、自分でコントロールなんてできない。
そんな不確かなものに、自分の生死の鍵を預けちゃう、なんてね。
嘘をつく人は、嘘をつくことが愚かというより、その嘘がばれないと思うことが愚か、だと思う。
嘘をひとつもつかない人なんてそんなにいないと思うけど。
大きな嘘じゃなくても、小さい嘘、ささいな嘘、優しい嘘、いろんな嘘が人の中に湧く。
自分自身が、その自分の中に湧く嘘の取り扱いに注意。
自分を殺してしまうよーな嘘は、自分の手にも負えなくなる時があるから。
そんな嘘をだれかと共有する、っていうのは、自分から秘密が漏れる穴をあけてる、ってことだよね。
秘密を共有する人間の数だけ、秘密が漏れる穴があるよ。
いちど作ったその穴は、だれにも塞げなくなるから。