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未解決の文字

もひとつブログです

モノローグのふきだし

 

「お箸は何本、お付けしましょうか?」 //  いつか電池がきれるまで

 

大好きなid:fujiponさんのこの記事を、面白く読んだ。

 

まあ、その店員さんに「箸は『本』じゃなくて、『膳』ですよ」なんて物知り顔で言うのは論外だとしても、間違っているとわかっていることに「おつきあい」してしまっても良いのだろうか?
 さりげなく「二膳お願いします」と返すべきだろうか。
 ここは黙って、指を二本立てる、なんていうのもひとつのやり方ではあるのだろうけど、それはそれで、何かしゃべれない事情があるのか?などと勘ぐられるのも不本意だ。
 うーむ。

 

これは、レジの従業員には見えないお客さんの心の中、だよね。

 

ネットって面白い、って思うのは、いろんな立場の人が、それぞれの個人的な考えを文字にしてるから。

 

私は、お箸の数え方が「1本」なのか、「1膳」なのか、っていうことより。

レジの接客に、お客さんがそこで何を感じてるか、何を考えてるか、っていう部分で、この記事を面白く読んだ。

 

私は、レジの中に立って、お弁当を買うお客さんに、お箸とかスプーンとかいろいろつけるか、聞く側になる仕事をしてる。

だから、この記事を読んで、2通りのこと、想像した。

 

ひとつは、このレジの人はお箸を数える単位を「膳」っていうの、知らなかったのかなー、って。

 

それか、もーひとつは、知ってるんだけど、「膳」っていう単位を知らないお客さんもいるから、だいたいのお客さんに通じるよーに「本」を使ってるのかなー、って。

 

私の場合は後者だから。

ただしい言葉が、そのまま伝わりにくいケースとか相手とかいる。

だから、お箸の場合、

「おいくつ、おつけしますか?」

って聞いてる。

それがただしい接客の応対じゃないのかもしれないけど、それがいちばん手っ取り早く通じやすいかなー、って。

 

うちみたいなお店のレジは、とにかく早い対応を望まれるからねー。

 

プリンやゼリーとかスイーツにつける小さい透明なスプーンは、うちでは「デザートスプーン」ってだいたい言うんだけど、その用語がすぐにピンと通じないお客さんもいる。

それに、小さいスプーンを嫌う人もいる。

 

だから、

「ちいさいスプーン、おつけしますか?」

って、聞き方する時もある。

これもお客さんの年代見て、その人に通じそーな聞き方を考えるけど。

 

箸とかスプーンとかつけるのを嫌う人もいる。

そーいう人には、おつけするか尋ねると、すっごい怒ったよーに、

「そんなもの、いらない」

って、拒絶されたり。

 

だからって、一応お尋ねしないと、いつもつけないお客さんだからー、って気をきかせてつけないで渡すと、あとから、入ってなかった、って苦情くる時もある。

その日は必要だったみたいなんだよねー。

 

従業員からすれば、

「いつもいらないってムッとして断るじゃないですか。だから今日は、イライラさせないよーに最初からいれなかったんですよ」

って、言いたくなるけど、お客さんからすれば、

「いつも入れるかうるさいぐらい聞いてたくせに、なんで必要な時に限っていれないんだ」

って、気持ちかもね。

 

レジでお客さんに接客する時、そこで「言葉にはならない」コミュニケーションが発生する。

 

でも、いろんなお客さんそれぞれの気持ちを瞬時に汲むことなんてムリだから、一律に、必要最低限の意思確認の言葉を交わすことがマニュアル化されてる。

 

それでも、そのマニュアルのままでは、現場でお客さんに理解されにくい場合もある。

だから、現場で、そのときそのときのお客さんを見て、接客の仕方をアレンジする。

 

「お客さん」って言葉で簡単にくくれないからねー。

「お客さん」は、ひとりひとりの個性があるから。

 

そして、従業員にも、ひとりひとりの個性があって、お店としてのサービスはどんな場合も基準をそろえなくちゃいけないけど、現場ってそんなにきれいに一律にならない。

 

どんなふーに、マニュアルがしっかり作成されていても、ひとりのお客さんとひとりの従業員が向きあった瞬間、そこには、個人対個人、のコミュニケーションにもなる。

 

「この人にお箸を1膳って言って通じるかなー」

って、レジの人が考えて、一応だれにでも通じそーに、

「何本おつけしますか?」

って、聞いたとする。

 

その時、お客さんは、

「えー。お箸って1膳って言うよねー。1本って言うの、なんか違和感あるなー」

って、思うけど、

「それ言ってもしょーがないか」

って妥協したりする。

 

小説やマンガとかなら、お互いの心理が文章化されるかもしれないけど、現実では、心の中のフキダシの部分は相手にはわからないからねー。

「何本、おつけしましょーか」

「………2本、おねがいします」

これだけが、お互いに伝わる言葉で、そこからまたお互いがいろいろ考えたりする。

 

「このお客さん、やっぱ“本”でよかったねー。前のおじーさんには“お箸は膳だろ”って怒られたけど、このお客さんは若いからねー」

って、従業員は納得しちゃってるかもしれない。

そしてお客さんは、

「うーん。あのバイト、若いから、お箸は膳って数えるの知らないのかなー」

って、モヤモヤしながら、でも優しいから怒ったおじーさんのよーに注意できないで帰ったり。

 

それか、レジのバイトはほんとに数え方知らなくて、

「なんかあのお客さん、お箸いるか聞いたらヘンな感じ。お箸いらなかったの?」

って、モヤモヤしてるかもしれない。

 

その現場で、言葉にならない部分で、気持ちがすれ違っちゃうことがある。

これはどーしよーもないことで、その場面場面で、どっちかが悪いとかっていうことでもなくて。

 

だから、ネットでだれかが、お客の立場の気持ちを書く、って面白いと思う。

こんなふーに考えて、こんなふーに気をつかう、っていう、「お客の気持ち」のひとつの例がわかりやすい言葉になる。

 

反対に、従業員の立場でだれかが書いたりするよね。

「お箸いるかいらないか、聞いただけで、そんなもんいちいちつけんな、ってすごい睨まれたー」

とか。(私の体験)

「ネコ缶にお箸つけちゃったー(;_;)」

とか。(私の前科)

 

違う立場にいる人たちですれ違う「思い」は、いろんな立場の人たちが書いた言葉で、「知る」ことができる。

 

fujiponさんが書いた記事は、日本語について、ってことだけじゃなくて、ひとつのコミュニケーションの描写。

 

若いバイトが発した一言で、お客さんがいろいろ考える。

そして、でもバイトの人にイヤミになるかなって気をつかって自分の考えを言葉にはしない。

だけど、それでいーのかな、ってモヤモヤが残って。

 

長くはないこの文章の中に、他人同士が向きあうドラマが描かれてる。

 

これを読んだ人は、バイトの立場で考えたり、お客の立場で考えたり。

そこでまた、読んだ人の頭の中でもコミュニケーションドラマができる。

 

なにが正しいのか間違ってるのか、っていう問題集の例題ではなくて。

日常のたった数分間の1シーンに、その現場では言語化されてないコミュニケーションが描かれてる。

 

バイトの人の気持ちは書かれてないから、余計にいろんな想像ができて、いろんな思考が膨らむよねー。

 

レジに立って、

「お箸おつけしますか」

って聞くたびに、私はこれからも、目の前のお客さんはなに考えてるかなー、って想像すると思う。

 

レジの従業員はなに考えてるの?

レジに立つお客はなに考えてるの?

 

その「なに」をいろいろ考えさせてくれる記事だと思った。

 

 

 

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